3.姿の情報性

ところで「CI」の実際的な場面となると、その根本になるものは、やはり、企業自身の自己認識、ものの考え方であり、企業の「思想」ということになる。そこでこれを、如何に内部や外部に向って表現するかという手段の問題になる。
しかし「思想」は言葉であるからと言って、演説やお説教を、のべつ年中振り廻しているわけにも行かない。そこで、ビジュアルな表現方法が必要になってくる。常に、目で見えるかたちで訴え続けることが出来れば有効にちがいない。だからといって、文章の「書き出し」やスローガンの看板など、思想を文字で直接表現する方法は決して上道とは言えない。「CI」を考える場合、このことは極めて重要なポイントとなることで ビジュアルな手段で思想を表現する方法……しかも美しく、センス良く、見る人に押しつけがましく無く、ごく自然に受け入れられる方法がどうしても必要になってくる。それにはどう言う方法があるであろうか。
「姿」の情報能力というものは、決して論理的でなくとも人間の感性に直感的に訴える力を持っている。しかも直接、情緒に訴える情報能力に至っては、言葉や文字の、とうてい及ぶところではない。「美」は人間が目を通して心で感じる味覚のようなものであって、それが目前にある時、言葉を何ら必要としないのである。以前、電々公社が民営化された。新会社の社長が決り、組織が改正され、会社の理念が改められたことであろう。しかし、我々外部の者にとって、はっきり目に見えて受け取れる変化は、マークが変ったということである。新会社の「CI」づくりの第一歩は先づ新マークの決定であった。そういえば、ここ数年、大手のデパートや銀行など歴史のある企業が続々と従来の伝統のある旧マークを廃棄して、新しいマークに変更した。これは大へんなことで、新マークのデザイン料についても数十億円といったうわさがささやかれているが、それだけに止まらず尨大な経費をかけて印刷物の刷り換えや、古いマークやシンボルの交換が行われているのである。しかも、マークの変更は大きな経営的賭(カケ)とも言えるし、それこそ、一つ間違えば企業の命取りにもなりかねない。それにも拘らずあえてそれに踏み切らせる何ものかがあるのであって、今日の企業環境の厳しさを、あらためて、うかがい知ることが出来るというものである。

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