現代人にエピソードを提供する……そのエピソードは記憶であり、記憶は映像であるということになると、この点に大いに注目する必要がある。例えばホテルで、部屋がゆったりとして清潔である。従業員のマナーとサービスが行き届いている。食事が美味しい。客は勿論それを求めているし、もしそれが充足されなかった時は客は大いに不満を感じるわけである。こうした、ホテル本来の機能的なサービスを、高いレベルで維持するために、ホテル経営の工夫と努力が払われることは当然であると言える。しかし、客の側からすればいくら高いレベルのサービスによって満足し、感動したとしても、よほどの突出した事件でもない限り、それだけでは、過ぎてしまえば忘れ去ってしまうものである。先にも述べたように楽しい印象や感動、それを客がその場所―そのホテルのイニシャルを付けて心の中にしまい込んでくれる、そのためには、記憶の本に「表紙」があると都合が良い。それが、その時の事件の背景となっている目で見えるものなのである。 これまたホテルの側からすれば客に対しての姿≠フメッセージであり、CIのための 器″でもある。ホテルやレストランなど、こうしたサービス施設のビジネスに於ける「CI」、姿のCIは、単にマークやシンボルではない。姿のあるものすべてが、その要素(エレメント)となり得る。しかし、そうかといって何もかもが唯、漫然とあればよいわけではない。それは、実際には建築として、インテリアとして、ガーデンとして存在するわけであるけれども、それは単に、デザインされているといったものではなく、意味性の構成であり、客の心の「記憶の表紙」に成り得るものでなければならない。しかしこのことはサービス産業だけで言えることではなく、すべてのビジネスに共通することでもある。